IndexNo:182:母は名ゴールキーパー
先日のサッカー日本代表対アルゼンチン戦を見て、感じることがあった。それは、日本イレブンが敵のゴールへ攻めている時、キーパー楢崎は何をしているのか、どういう気持ちで前線を見ているのかを。テレビでは攻めの部分、キーパー楢崎を中心とした守りの部分しか見えないのである。私はゴールを死守する責任のための集中力であると思う。敵が自らのゴールを攻めるのは、もちろんのこと、見方が相手ゴールを攻めるときも常に、ボールに目を向けているのだ。当たり前のように思うことが、私たちは本当にできているのか問題である 私の母は、今年12月で77歳になる。数年前まで現役で、いけ花を組み、小売をしてスタンド花まで生けていた。その母が、私の幼少(それ以前は記憶にない)時代から、朝3~4時に起き、仕事をしていた。年中仕事漬けでなんら趣味をもっているわけでもなかった。父(二代目)が仕入れ、それをサバクことが母の仕事なのだが、家事もあり、子供の教育もあったに違いない。母の両手の爪を見ると、今でも割れている。そんな母は、競争相手に負けることなく、今の姉の会社(花商小倉)の歴史を支えてきたのである。母は精神力の強さと限られた時間で完成させる集中力では、私の知る限りではそれ以上の人間はいない。その母も30K前の体重で、体も弱くなり、今では孫と遊んでいることが一番楽しいようだ。 その母が、今でも言う言葉がある。「塩の辛さはなめてみて」「最後まで最後まで」だ。これは私の会社経営に役立っている。革新に何でも挑戦し続けるなかで、やってみなければ理解できないこと、ダメだったら撤退しても、何かが残る。それが数年先に何らかに役立つことがある。また、立ち上げた業務に関しては、精一杯の努力を惜しまず、最後にトドメを刺すことが大事なのである。一つの事業成果でも、残りゼロコンマ数パーセントを中途半端にやっただけで、全てがマイナスになることがある。「念には念をいれよ」であるのだ。 親は、いくつ年をとっても、親であり、その差をうめられないのである。感謝しなければいけないのは、私だけなのかもしれない。あなたは・・・・・・ |