IndexNo:260:おもしろい仕事は自分でつくる

今日で新年度始めの月が終了する。4月は前半から仕事花に後押しされたことと、生花商の小売部門が好調だったお陰で相場が安定して、数量も昨年以上に取引された。後半に多少失速したが、気温が一挙に上がったことと、年末2度切りの出荷増による相場安が原因であるということで、次からの解決策が打ち出せることが明確にできる。5月では、母の日が連休明けということで、消費者の購買意欲が心配な点である。4月で明るい兆しが見えてきたのに5月で暗幕がひかれれば最悪である。とにかく、母の日もさることながら母の日明けの相場が気になるところでもある。

先日、とある量販店の園芸コーナーに3ケ所行って来た。天気も良かったせいか、かなりのお客で繁盛していた。商品も県内産、県外産と、どのコーナーもかなりの量で陳列してあった。4時間も回っていると、商品も気になるところだが、行った店々が本当によく見えるものである。店員の方々も飛ぶように売れる商品を袋に詰めていられたことで、『売れる時』の面白さを満喫されていた。ところで、とある講演先で「何かおもしろい仕事がしたいのですが」と質問を受けたことがあり、私は「こんな質問は、冗談じゃない。」と答えたのである。そして、自分のやっている仕事がつまらないというのは、自分を「つまらない奴だ」といっているようなものであると付け加えた。質問された方はビックリされていたが・・・・・・・・。

仕事があって人がいるのではなく、人がいて仕事がある。おもしろい仕事などというのは、本当はなくて、その人が自分の仕事をおもしろくしているかどうかなのだ。だから、まず自分がおもしろい奴にならなくてはいけない。そして、仕事をおもしろくするのである。人がやらないことや、人がつまらないと思うことにおもしろさを付け加えることが、本当の能力だと思う。自分にしかできないことをやってこそ、そこに大きな価値が生まれる。上記で量販店の店員の方々がおもしろくされているのは、おもしろくできることに貴重な時間をかけ、おもしろく売れる陳列などを努力して行なってきた結果なのであると思うのだが。

意にそぐわぬ仕事を与えられた時はチャンスである。それをつまらなく思い、単に時間をかけただけで終わらせてしまうから、疲れるし意欲もなくなるし、会社への不平不満もでてくるのだと思う。人生も仕事もドラマチックに過ごしていけばいい。若い時に、挑戦することからくる、おもしろさを体験できるかどうかが、本当に自分ができるかどうかの分かれ目となるのだ。おもしろい仕事とは、私達がつくった仕事のことなのである。