IndexNo:311:未完の私でも完璧を要求する義務がある。

年度末まで残り1週間になり、決算の準備に入ることとなった。これからが1ケ月間が地獄の始まりになる。今週は、切花・鉢物と量、単価とも安定して取引された。鉢物は春の植樹シーズンに入り、売店もようやく売れ始めてきたようである。切花は今日、明日と寒波の到来で仕事が多かったことと、離任式、送迎会用の注文が増加したようで、洋花・菊を中心に高値で取引されたいた。鉢物の担当者も、一息ついたのではないかと思うが、気を引き締めて業務に励んでもらいたいものである。

社員教育とは、会社の発展の為に大事なことだとは理解できるが、本当に難しいものである。色々な本を読んでみても、その内容通りに「社員(人)を動かす」ということは無理なことであると感じるのは、私だけではないと思う。しかし、社長である私が自分に完璧にできないことであっても、トップとして部下にはそれを完璧にやるように要求する義務があると思う。私は指導する立場にあり、あるべき基準に照らし合わせて、部下に注意・警告を発するのが仕事である。『こういう人材になって欲しい』という願いを込めて、時には厳しいことを言わなければならない。

しかし、よく言われる管理職に抜擢される人材は、ある程度の基準は満たしているものの「自分ができることしか指導できない」というケースも少なくない。すべてに完璧な管理職であれば理想だが、現実には管理職とはいえ発展途上の人材だと思う。頭で分かっていても、自分自身その通りに出来ないこともあるだろうし、時にはミスをおかすこともないとは言えないのである。そこで、多くの管理職の人達が勘違いするのは「自分でも充分にできないことを部下にうるさく言うわけにはいかない」ということであると思う。

私が一言で表現するなら、私が思う社員教育の本質とは『自分の後継者を育成する』ことである。部下の育成によって、責任感・使命感が一人ひとりの心に宿る。意識が変わる。発想が変わる。仕事の質が変わる。一人ひとりが実力社員に変わっていくと確信している。そうなれば、社員が育ち続ける社風が自然と根付くのでないか。それが、何にも代えがたい強固な経営基盤となる。それは経営者の仕事の分野でもあるが、実際に実行できるのは日々の業務を通じて一人ひとりの部下の指導をできる立場にある管理職しかいないと思っている。