IndexNo:326:祖母の33回忌
今週、セリ販売市況において一部の7月盆需要に支えられ若干であるが持ち直してきた。7月盆を多く抱える東日本地区の相場が思った以上に上がらない為に国内の産地も苦慮している状況である。しかし、東北の産地の遅れ等から品薄の商品もでてくるので、間違いなく今日の売立分からは通常の価格に戻ってくるだろう。 明日、鹿児島へ父方の祖母の33年忌に出席してくる。祖母は、60年も前に鹿児島でリヤカーを引っ張り、花の行商を始めた花屋の先駆者である。祖母は、私のお守りをかねてリヤカーに乗せて行商していたそうだ。 私も幼児期には祖母のリヤカーを引っ張り?行商に着いていった思い出がある。鹿児島駅の近くに、当時は少なかったラーメン屋さん(ダッコちゃんラーメン)に行くのが楽しみで行っていた。父に聞いて見ると、当時は祖母が庭先の花々を買いに行くことから始まったらしい。今では一人あたりの消費では、日本一の鹿児島であるが、行商から朝市、そして今の店舗販売とこういう歴史からスタートしているのである。 また、現在ホームユースでは常識であるパック販売も祖母は始めていた。それは、今ではパックに詰めて機械で束ねるが、私の幼児期(5歳)では、私が新聞紙を半分に切り、祖母が新聞紙で巻き、ワラで梱包して桶(おけ)につけ、リヤカーに乗せて販売していた。祖母から育てられた私は当時、こおり砂糖が欲しくて手伝いをしていた記憶があるために鮮明に覚えている。 ひとつの歴史の中から、今の花き業界が相続している。祖母だけではなく、過去において多くの人達の「血と汗と涙」で今があることを忘れてはならない。当社の若い世代の社員もそうであるが、過去の花業界の歴史を聞こうとしない。いかにも自分達で創ってきたように誤った判断をしているのだ。このコラムを読んで頂いている方々に伝えたい。「過去の歴史において苦労された方々がいたからこそ、これから先、自分達が責任を持ってこの業界を盛り上げていかなければならない」と。 |