IndexNo:361:「コスト削減=ケチに徹すること」の誤解

お彼岸商戦も終わり、卒園.卒業式の需要にて切花は、好調に販売できてはいるが、鉢物は天候等の影響で入荷減、単価安のために苦戦を強いられている。3月のこの時期には、市場内に台車が置けずに市場建物の周りにベタ置きして並べるものであった。今では、台車も余る程、入荷が減少している。全国的に鉢物や苗物の需要が激減しているのは理解できてはいるが、確かにセリ場をみていると買参の方々に元気がない。それにしても、ここ1年間の販売の流れは悪くなる一方である。個々の園芸店だけでなく量販店も小売事情は、厳しくなってきているのである。歯止めを掛けなくては、生産者も重油高騰の影響で生産をやめる方が増えてくれば最悪の状況になってしまう。

先日、経済の情報誌を読んでいたらコスト削減について書いてあった。日産自動車やソニーの例や三洋電機他、多くの企業が生き残り企業を目指してのコストをどのように削減していくかがポイントとなっていた。
私達の花き市場業界では、一般的に『コスト削減=ケチに徹する』と言われている。保守的な企業集団であり、「コストは少なければ少ないほうが良い」という発想で無駄な経費をかけないようにすることであった。

私自身、個人的に思うことであるが、コストダウンというのは、ケチに徹し、コストをゼロに近づけようというのが本来の狙いではない。もし、コストを削減したばかりに、それをかけていた時の成果がなくなったとしたら、それは機会損失である。機会損失が発生するようなコストダウンでは、意味がないのである。むしろ、かかるコストを最大限に活かし、成果を最大にすることこそが求められていると思うのだが・・・・。

また、忘れてならないのは、すべてのコストを負担して戴いているのはお客様(顧客)にほかならないということである。言うまでもなく、市場の毎日はコストに満ちている。荷物を集めるための通信料、営業にかかる金銭的な経費やそれにかかる貴重な時間、当直し荷物を受ける経費、顧客にかかる配達のための経費とそれにかかる時間等、どれをとってもコストである。生産者の方々を含む荷主様、仲卸、買参人のお客様が許容してくれるコストだけが、価値あるものを生むのである。コストとは、何かをした結果『かかるもの』ではなく、何をしようとして『かけるもの』であると確信している。