IndexNo:481:仕事の「やりがい」は自分で見つけるものだ・・・の誤解
父の日を前にした6月中旬の市況としては、全国的に厳しい状況が続いている。今日の金曜日は、菊類・球根類・洋花とも月曜、水曜と比べて、相場も反発して平年並みに戻してきたようである。鉢物は、天候に左右されるところはあるが、入荷も徐々に減少傾向にあるので需給のバランスを考えていけば、小動きの取引となっていくと思っている。 新聞、テレビの報道をみていると秋葉原通り魔事件のことで多くの方々からの意見が聞こえてくる。容疑者が会社の対応が悪いとか何が悪いとか、全てに責任を他にかぶせている感じがすることは皆一緒だと思っている。しかしながら、昨日のニュースで感じることがあったことをお話ししたい。それは、容疑者と会社の関係で「仕事のやりがいは自分で見つけるものだ」と云われていることの誤解である。私達が社員から「仕事のやりがいって何ですか」と質問をぶつけられるとする。私達はその質問に対して明確に説明してやれるだろうか。やりがいとは何かを問われて、つい自分自身でも理解できないような言葉で逃げることがあってはならないと思っている。 報道では、いかにも『やりがいとは個々に持つべきものだ。そのくらい自分で考えろ」と云っているように聞こえてくる。そういうことを云う人やその上司こそ自分のやりがいすら理解していないのでないか。では「やりがい」とは何を云うのだろうか。人それぞれの意見はあると思うが、私の経験を元にした意見を述べさしてもらいたい。やりがいとは、すなわち「位置づけ」のことと思う。人間というものは、いつも自分の位置づけを確認しておきたいものなのである。社員が抱えている仕事が「全体の中でどの位置にあるのか」つまり会社にどの面で貢献しているか。その位置づけを示してやることが「やりがい」とは?の応えにつながると思っている。 その中で、社員のやりがいを持つための「位置づけ」は4つあると思う。①は担当を持っていての位置づけ。社員は自分がどのような役目を果たしているのかを知りたいものである。②は会社の中での位置づけ。担当として自分の仕事内容が会社全体に何をもたらして(プラス)いるかを示していきたいものである。③は会社の将来に対する位置づけ。会社の方向性を示してやることで、今の仕事はここに直結すると教える。大きな時間の流れの中での位置づけが見えれば、どんな小さな仕事でもやりがいが芽生えるものである④自分の将来に対する位置づけ。今の仕事が自分をどう成長させてくれるのか。私達上司が社員に対して「将来、こんな役割を担って欲しいからこの仕事を続けていると云うことを誠心誠意、説明するのが大事なことであると思う。 |