IndexNo:722:一般的に思う「泥をかぶる」こととは「火中の栗を拾う」ことである。

今週の切花は、お盆商戦も終盤での取引となりました。5日(月)は、取扱数量は微減、取扱単価・取扱高は前年並み、7日(水)・9日(金)共に取扱高・数量共に増加しましたが、取扱単価は下げることになりました。要因として7日に菊類が軟調な取引となったことと、猛暑続きで小売事情での仕入計画が遅れた結果と思っています。鉢物は取扱単価も高く、取扱数量・取扱高共に大きく伸ばすことになりました。8月は切花での売り日が1日少ないので鉢物の取扱高増で補えることができれば月間取扱高も昨年並みとなりそうですが、盆明けからの取引に期待し、それに向けて行動していかなければいけないでしょう。

一般的に「泥をかぶる」というと、たとえば上司が部下の失敗の責任をかぶるというようなことを指すらしいですね。しかし、それは綺麗ごとでしかないのですし、まずそんなことはないからであります。私が想う「泥をかぶる」というのは、「火中の栗をあえて拾う」というような意味なのです。それは「相手を信頼する」ことと密接な関係であるからです。たとえ敵対関係(ライバル等)にある関係でも、人間としての善意を信頼すれば、最後は話が通じるものと思っています。じつは、これがたいへんに難しいことでありますし、忍耐が必要であることは理解しています。

そして、大事なことは、そういう相手のところへ自ら飛び込まなくてはいけないことですし、それをするには覚悟がいりますね。そのことが私の想う「泥をかぶる」ということです。かつてドロドロした喧嘩や問題等があった相手と話し合い、手を結ぼうとする。これは見方によっては、とてもいかがわしいやり方に思えることでしょう。「社長は○○と仲良くするつもりか?」という誤解を受けることさえあり得ますからね。一歩失敗すれば、自分の身を滅ぼすような、またはバカにならなければできない仕事に出会うと泥をかぶらずに逃げだす人も多々ありました。

しかし、実際にやってみれば、道は開けるものであり、覚悟を決めて捨て身になること。泥をかぶるつもりで相手の懐に飛び込む、そうすれば、そこは人間同士のこと、どこかで話は通じるものであり、仲良くなれることさえあり得るのです。その気になって飛び込むと意外な「力」や「運」が出てくるものでありますし、日頃から難題として解決できなかったこともすんなりと終えることができたりする。自信などまるでなくても「道が勝手に開いてくれる」ものなのです。そのことが今までの私を押してくれた要点のひとつであると確信しています。「今私は、耐えて本当に良かったと想っています。あの時に逃げていたら私は負け犬になっていたでしょう。もし、再度そういうチャンスに恵まれたら「泥をかぶる覚悟で」やってみようと思います。